So-net無料ブログ作成

キリシタンの数 [日本キリシタン史入門]

キリスト教の立場(西洋カトリック諸国寄り)の人が書けば人数を多く書くでしょうし、反キリスト教の立場(江戸幕府寄り)の人は少なく書くでしょう。
なのではっきり言って正確な数字はわかりませんが、数百人とか数千人という単位でないことは確かです。島原の乱のおり原城だけで2万数千人が殺害されているので(定説では3万7千人)、数十万人の人たちがキリシタンであったと思われます。
学者の推定によると、江戸中期・後期を通じて日本の総人口は3000万人前後であると言われており、仮にキリシタンの数が30万人だとすると、100人に1人なので1パーセントです。現代でも総人口の1パーセントを超えないと言われています。しかし長崎では14パーセントなので、地域(藩)により割合に差があることでしょう。
 日本におけるキリスト教の宣教事業に関与した人員は、ザビエル以来、司教・パードレ・イルマンなどの宣教師をはじめ、同宿・小物・看坊などの俗人の役務者をふくめると、1600名を下回ることはなかったであろう。
五野井隆史(著)『日本キリスト教史』吉川弘文館,1990,p5.

宣教師(1549-1643) 452名(パードレ275名、イルマン177名)
 イエズス会(1549-1643) 316名(パードレ162名、イルマン154名)
 フランシスコ会(1582-1632) 63名(パードレ44名、イルマン19名)
 ドミニコ会(1592-1636) 35名(パードレ32名、イルマン3名)
 アウグスチノ会(1582-1632) 26名(パードレ25名、イルマン1名)
 教区司祭(1604-1619) 12名
 (このうち日本人司祭 43名)
教役者
 同宿 400~600名
 小者 500名以上
 看坊 190名
 1601年当時のキリシタンの数は、およそ30万人とみられ(ヴァリニャーノの1601年10月16日付書翰Jap.Sin.14 I,81-82v)、1602年以降1613年までの改宗者は、イエズス会士による分だけで約6万4500人であった。他の修道会による改宗者は不明であるが、1611年の3つの修道会の実績は2000名と報告されており、この数をもとに推論すると、1613年までに2万名前後の改宗者があったであろう。このため、1614年1月に禁教令がだされた当時のキリシタンの概数は、37万人前後であったと推定される。しかし、全国的な禁教令施行によって、キリシタンの大部分は棄教を迫られ迫害されて、大部分の者が表面的には信仰を捨て、やがて信仰から離れていった。
 *当時宣教活動に従事していたイエズス会のパードレ、ガブリエル・デ・マトスは1614年11月までのキリシタンの数を50万人としている(日本迫害報告Jap.Sin.27,107)。
五野井隆史(著)『日本キリスト教史』吉川弘文館,1990,p11.

nice!(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。